ADDress ライフ 余白のある人生は幸せ

以前、「ADDress多拠点生活 宇城(熊本)宇城の夜、ふたつ、自分なりの答えを見つけた。その③個人編仕事編。」というブログを書きました。

今回、その中の「個人の幸せ」について書いた部分だけを、大きく、整理し、改稿しました。

ライフスタイルとは

ライフスタイルという言葉、何の気なしに使ってしまうんですが、つまるところ、何に時間やお金などのリソースを使っているのか、または使おうとしているのか、のデザインと考えています。その使い道や、使い方には、その人の価値感が表れるからです。

会社員時代、私は忙しかったからこそ、自分の時間、自由時間を確保したくて、多くのものを切り捨て、効率化を徹底していました。そうやって作り出した貴重な自由時間をエンジョイするため、また自由時間そのものを作り出すための出費も多くありました。

一方、今は無職になり、時間ができたことで、敢えて自分に対し、非効率な時間の使い方を許しています。*別の機会に書きますが、無職になっても結構忙しいです。

180度時間の使い方の異なるライフスタイルを送るようになって思ったことがいろいろありました。

忙しすぎる中での効率化は、さらに気持ちを忙しくする

会社員時代は、効率的であることにある意味、生きがいを見出していたといってもいいと思います。ありとあらゆる工夫をしていました。

手帳の使い方、時間術、などの本を買ったり、セミナーを受けたりしても、やっぱりいつも「時間が足りない!もっと工夫しなくちゃ」と思っていました。睡眠時間も取らなくちゃ、運動もしなくちゃ、勉強もしなくちゃ!そして遊びの時間は絶対確保したい!と。

私は時間管理が不得手だと思っていたので、(実際不得手です)手帳を真っ黒にして、TODOをどんどん進めていく人を羨ましいなあ。と思い、自分が大事なことを成しえていないんじゃないかという不安や焦が常にありました。

「住所不定無職」になってわかったこと。

それは、キャパシティよりも、少し多い量は効率化できる。でも、かなりのオーバーキャパシティになっているときには、効率化しよう、とか、やめることを決めよう、ということがそもそも難しい。やってもやっても、同じところをぐるぐると回るだけ。解決は難しく、気持ちだけがさらに忙しくなってしまうのです。

無職になってはじめて、その日暮らしの楽しさを知った

無職になって約1年。今は完全にその日暮らしです。多拠点生活では「観光半分、生活半分」という日々なので、必然的に「お天気と相談」ということが多くなります。

海沿いや山沿いの地域の天気は変わりやすく、予報も頻繁に変わります。なので、それに合わせて、予定を組み替えて、その日のベストを考えることを一番大切にしています。

私が今まで生きてきて学んだこと。「この次」とか「また今度」って、意外に叶わない。だから、「今やりたいこと」「今日やりたいこと」を最優先にする生活を送るようになりました。

今日は何をしよう。と起きてから考える。そういう幸せを、生まれて初めて知った気がします。

やらなければいけないことは最低限、あとは好きなことをするか、もしくは何もしない

今、have to として自分に課していることは、下記の3つだけです。

  • ブログなどSNS上での発信を必ず毎日。
  • 英語の勉強を週7時間。
  • 2021年4月からは、美術の勉強を週7時間。

それ以外に、生活のなかでの手続きや、移動のプランニングなど、やらなくてはいけない用事(これがまたものすごく少ないですけど)があるので、それは日々、1時間程度だけ。です。

それ以外の時間はのんびりしたり、本を読んだり、映画を観たり、おしゃべりしたりしています。

色々な人とお話ししていると、情報が飛び込んできます。まだ行ったことのない、ADDressの拠点のことやその地域のこと。多拠点生活の工夫や心地よい生活のヒント。新しいアプリや、サービスのこと。そういうのを次々に試したり、自分でも探してみるのも楽しいです。

1日の予定を考えるときに、まず、明日(または今日は)出かけるか、否か。出かける場合は、朝、早起きして、または隙間時間がどこで発生するかを考えて、その中で have toのことをするようにします。

逆に言えば have toのことが終わったら何でも好きなことをしていい。というのが日々になっています。

余白が人生を豊かにする そして幸せが生まれる

ほとんどの人が、have to と 自由時間 を両方持っているのですが、そのバランスが幸せを決めるということです。

かつての私のように、多くの人が自由時間をつくりだすために、効率化をして、それがうまくいかずにストレスをためています。英会話やダイエット塾、断捨離塾と同様に、時間管理術も達成することが難しく、「これをやれば簡単にできる」的な指南本やセミナーはたくさんあります。

逆に、効率化自体が目的化してしまって、スケジューラーを使いこなすこと、多くの予定をこなすことで目的が達成されたと感じ、自己満足に陥っている人もいるように感じます。

今、私は、have toの時間を最小化していて、自由時間を増やしています。

「何も決まっていない時間、余白の時間」がすごく増えましたそれが、幸せと大きく相関があるんだと確信しています。

二つの疑問にお答えします

①余白が人生に幸せをもたらすかどうか、は、その人のステージによるのでは?

私は今とても幸せに生きています。でも、私のような時間配分がが幸せかどうかは、人生のステージによると思います。子育て中や、仕事に燃えるべき若いころ(若いころとは限りませんが)は、それこそ自分の自由時間を削って、そのことに邁進していくことが、幸せといえると思います。私にもそういう時がありました。

ただ、少し注意しなくてはいけないことは、「ほかの人のために生きる」ことが目的化していしまうことです。「ありがとう」といわれること、「人のために尽くすこと」は美しいことのように感じます。「自分がいなければ回らない」という責任感も、尊いことです。それでその人が本当に幸せならそれでいいと思います。でも、「犠牲になることを幸せだと思いこもうとする人」が少なからずいるのを感じます。

ふと疲れたときに、それが「自分に必要なステージ、そういう時期なのか」または「自分が犠牲になることで何かをごまかそうとしていないか」を問うてみることが大事です。

②余白がありすぎて不安になったり、生きがいを見出せなくなったりする人がいるのでは?

定年退職したおじさんが、やることがなくなって「わしも族」になったり、急に呆けてしまう、というエピソードもありますから、自由時間が多い人生が幸せとは限らないんじゃないか、という考え方もあると思います。私もどちらかといえば、「仕事人間」だったので、仕事がなくなって、空虚な気持ちになるんじゃないかなというのがとても心配でした。

だからほんのちょっぴりの have to は必要だと思います。できたら、それが他者とのつながり、社会的なつながりになることがいいんじゃないかなあと思っています。

私はSNSを通じて自分の多拠点生活について書くようになり、それに併せて自分が思っていることを定期的に発信するようになりました。毎日1-2時間、(気が向けばもっと長く)そういう時間を取っていると、空虚にはならない。趣味、みたいなものもそれに相応するのかもしれません。

have to の積み重ねが将来の貯蓄になっていくということも、大事なポイントです。勉強や趣味や、人に尽くすことを少しずつ積み重ねると、それは大きな資産になることでしょう。でもそれは2割くらいでいいんだと思っています。

提言: 仕事を1年休もう。仕事を辞めてしまおう。

どんなに時間管理に長けている人も、have to の時間と、自由時間のバランスが、2:8になる人はあまりいないと思います。昨今は仕事時間を少なくしよう。クリエイティブになるためには、短時間で効率的に、生産性高く仕事をして、もっと自由時間を増やそう。みたいなのが流行っています。

2021年3月、リクルートグループが年間休日を143日にすることを発表しました。でもそんな恵まれた企業に勤められる人は少ないし、143日だって、まだまだ少ない。

働きながら、努力や工夫で、理想的なレベルまで自由時間を増やすことができる人は、どれだけいるのでしょうか?

仕事が生きがいになっている人は、 have to が want to になっているので、ストレスは少ないけれども、凡人はやはり、自由時間、即ち余白がなければ、新しいこと、クリエイティブなことを生み出すことはできないのです。

だから、人生にほんの少しでも、余白を持てるチャンスやステージが来たら、またはそういう環境を求めて、思い切って仕事を休んでしまう。辞めてしまおう。それが、have to の時間と、自由時間のバランスが、2:8になることを可能にします。

誰にでも仕事を休む、やめるチャンスは必ずあります。2-3年分の生活費があれば、安心して辞められます。あとは勇気だけ。

大切な人生。会社がサバティカル休暇の制度を作ってくれるのを待っていなくてもいいのです。

私がやっていることは正気の沙汰ではないかも?

「今後どうする予定なんですか?」「金銭的な心配はありませんか?」本当に多くの人に聞かれる質問です。

私がこの後、人に羨ましがられるような人生を送り続けることができれば、私の進言に対して信頼度が増すことはわかりますが、そういうことは、どうでもいいことなんじゃないかなと思います。

ふと考えてみれば、8か月間で多拠点生活に使った費用(住宅コストと移動コスト)は、100万円くらいかなと思うのですが、私が会社に勤め続けることで得られたであろう収入分を考えると、この多拠点生活という遊びに、少なくとも500万円以上を投じていることになってしまいます。

それは正気の沙汰ではない。かも。

でも、考えてみたら、自分を変える、変わるようなことって、正気の沙汰ではないようなことからしか生まれないんじゃないかな。

九死に一生を得るような経験、大きな病気やケガをすることで人生を変える人は多い。自分でやっている事業がうまくいかずに苦しむというような経験も、人を変えるといいます。

私は、ギャンブルやホストクラブに散財する勢いで、この多拠点生活にお金と時間を使って、約1年経った段階で、やっと、どうしたら幸せに生きられるのかについて、今までとは違う視点で考えられるようになりました。

だから正気の沙汰ではなくても、やってみる価値があると思っています。

まとめ

私が好きな美術家の李禹煥(リ・ウーファン、Lee U-Fan、이우환、1936年 – )は、余白の芸術について語っています。

余白、行間、目に見えないもの。

私は、論理的に考えながらも、目に見えないもの、余白の存在を認めること。それが人生を豊かにすることなんだと思っています。

余白のある人生。その人それぞれが持つ、余白の色やかたち。匂い。手触り。それを探し求め、手に入れることが、幸せの一つなんだと感じています。

今夜もよい夢を見られますように。

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