先日、天草在住のパラレルワーカー、筒井永英さんに、現在の私のライフスタイル「無職の愉しみ」についてインタビューしていただきました。
筒井永英さんは、横浜出身、現在、みかん農家×ライター×ベーグル店の運営と、パラレルワーカーそのものの毎日を送っていらっしゃるとても多才な方です。
このインタビューの中で、「多拠点生活と定住を比較して、それぞれのメリットとデメリットを挙げることにはほとんど意味がない」ということをお話しし、共感していただきました。
比較に意味がない理由は、自分がどういう幸せを望むのかという価値観が、人によって異なるからです。ひとことでそういってしまうと、元も子もないので、いくつか、例を挙げて説明していこうと思います。
そして、田舎でも東京でもない、多拠点の生活の魅力を改めて語りたいと思います。
私にとってのふるさと 東京
私は東京が大好きです。多拠点生活を始めてあらためて東京って素晴らしいところだなと思うようになりました。海外旅行に行けないという、現在の環境が、さらに東京の良さ感じさせました。
まず、私が東京が好きな理由は、便利だし、何でもあるからです。東京には何でも最新のものがある。ファッションだって、カルチャーだって、食べ物だって、医療だって、何でも選び放題なくらい揃っている。
私が子供のころは、外国に行かないと手に入らないものがたくさんありました。だから私は若いころから海外旅行が大好きでした。昨今、海外旅行が難しくなって、ふと立ち止って考えてみたら、現在、東京で手に入らないものは何もない。世界中にあるほとんどのものを何でも買うことができ、何でも見ることができ、食べることができる。
もう外国に行かなくても、東京にいれば、世界の最先端を体験することができるんだ。(まあその土地が持つ空気、というのもあるので、また海外に行きたいですけど。)
あらためて東京のすごさを感じています。
そして、私にとってはその便利な東京こそが、我がふるさとです。そのことについては過去のブログにも書きました。
だれでも生まれ育った街をふるさととして、懐かしく思うはず。私にとって、そういう意味で私は東京が好きだし、東京は住みやすい、帰りたいと思う街です。
東京の悪いところ
地方から東京に出てきた人や、東京からすでに地方に移住している人は、地方の豊かさを教えてくれます。
- のんびりしている
- 人が温かい
- 食べ物がおいしい
- 生活コストが低い
- 自然が豊か
逆に言うと、東京は、せかせかしていて、人が冷たく、食べ物がまずく、生活コストが高くて住みにくいところ、そしてビルばかりで空が小さい。ということでしょう。
東京の悪いところに対する反論
東京大好き人間としては、いくらでも反論できます笑
「のんびり」について、あとで書こうと思うので、ここではいったんおいておきます。
地方の排他的なカルチャーは、都会人からすると恐怖です。なかなか仲間に入れてもらえない、何か失敗したり、人に迷惑をかけたりすると噂になってしまう。新しいことをしようとしたりすると、邪魔される。そういう話を見聞きすると、地方のほうが単純に人が温かいとは言えないんじゃない?
とか。
食べ物についても、東京には、日本で生産、または飼育、漁獲された、最高品質の素材が集まってきます。日本国内のみならず、世界中からです。だから、東京のほうが食べ物がまずい、ということはありません。東京は世界一、おいしいものが食べられる都市なんです。そして、世界中の料理がある。おいしい。の、ものさしを変えてみると、東京は十分すぎるほどに美味しい。
生活コストについても、東京が高いのは、住居費だけでそれ以外は地方と変わらない。通信以外の、電気、ガス、水道、などの費用は、人口が流出している地方のほうがインフラ整備コストがかかるので、実際は高いか、もしくは今後高くなってしまうのでは?と思います。
寒い地域では暖房費がかかるでしょうし、車が必要な地域では車の維持費やガソリン代もかかる。だからそんなに生活コストが安いとは言えないかもしれません。
だから、比較の論争には終わりがない
このように反論すると、いや。でも。と地方居住支持者の方から更なる反論がありそうです。この論争には終わりがない。ということは、比較には意味がないということです。
最終的には、その人が大事だと思うもの、価値があると思うこと、によって、どこに住むべきか、どうやって住むべきかを決めることが幸せにつながると思います。
田舎はのんびり? それには同意
1日は24時間。それはだれにとってもも同じ。東京の人は長時間労働だけど、田舎で農業に携わる人は土日とか関係ない。自然や四季と密接に関わる生活は、予定外のことが多くなるから、時間がかかることだって多い。なのに、なぜ田舎のほうがのんびり?
ここでのんびり、について説明します。のんびりについては、完全に田舎の圧勝です。
東京は疲れるよね。田舎でのんびりしたい。よく人は言います。東京はなぜ疲れるのでしょうか?東京が疲れる理由は、何でも多くの選択肢から選択できるメリットがある反面、「量」が多すぎて、「複雑」だからです。選択することに脳を使いすぎてしまうということだと思います。
たくさんのことを判断する必要が出てくるので、必然的に生活スピードが増し、速くなっていきます。
どこに住もうか、誰と付き合うか、どこで働くか。どこの学校にいくか。
今週末のデートにどこに行こうか。何を食べようか。何を買おうか。どこの歯医者に行こうか。どこの美容室に行こうか。
〇〇駅までどうやって行こうか。地下鉄?バス?シェアサイクル?タクシー?
何か習い事でもしようか。ヨガ?ボルダリング?陶芸?プリザーブドフラワーづくり?
朝起きて朝ヨガに行き、お友達とスタバで朝食。午後からは別のお友達と映画を観て、軽くお茶。夜9時までショッピングモールでお買いもの。その後軽く飲みに行って、コンビニでデザートを買って帰る。あ。晩ご飯食べてないや。
移動時間にはSNSや動画視聴をし、読みたい本の山。行きたいレストランのリスト。忙しくて全然会えていない友人への連絡。溜まっていくTODO。
最近遊びすぎているから、勉強の時間を取らなくちゃ。でも忙しすぎて疲れているんだからやっぱりマッサージを予約する?どこのマッサージにする?いつものところ?お友達のおすすめのところ?それともSNSで話題のところ?
忙しい。忙しいったらない。
ここには書ききれないくらい、朝から晩まで、複雑かつ量の多いものの中から選択しなくてはいけない。選択肢の母数が信じられないほど多く、選択しきれないから、「いつも何かやり残しているような気持ち」になる。それは疲れるに決まっています。
東京に住むってことは、この半端ない選択肢の中で、脳をフル回転させて暮らす、そういうことです。
東京で生まれ育った人は、子供のころから、そういうことに慣れています。今はインターネットもあるし、地方の人も、多くの情報に囲まれて育ちます。だから脳の疲れについては、東京と地方ではそれほど変わらなくなってきている。とはいえ、やはり東京のこの「複雑且つ、選択肢の多さ」というのは特別で、そういうせわしなさに疲れてしまい、「やっぱり田舎がいいな。」と思う人もいるのかもしれない。
少し視点を変えて考えてみる
少し視点を変えて、考えてみたらどうかと思います。
田舎とか、都会とかそういうことではなくて、その選択の量のちょうどよさ、というのが、その人の幸せを決めるんじゃないかな。とも思っています。(そのことはまた別のブログに書きます)
そしてそれは、状況適合的であるほうが、より幸せなのでは? 疲れたら選択の量が少ない生活を。望んだら、いつでも脳をフル回転できる刺激的な生活を。実はどの場所にいたとしても、自分がそれをきちんと選択することができれば、意外に幸せは自分の手の中にあるのかも。「青い鳥」のように。
多拠点生活は、幸せの一つのこたえ
青い鳥のお話は、私たちがすでに持っているものになかなか気づくことができないことを教えてくれる物語です。もうひとつ、私が思うのは、持っていないように見えて、実は持っているものってあると思っています。都会の暮らしは忙しいけれど、きちんと選択する力を持っていさえすれば、東京でものんびり暮らせるのだと思います。
ただ、人はそんなに、主体的に、正しい選択をして上手に生きていくことはできない。環境に影響を受けながら生きています。先述したように、疲れたら選択の量が少ない生活を。望んだら、いつでも脳をフル回転できる刺激的な生活をするために、場所を変えてみるというのは一つの選択肢です。
冒頭から書いてきたように、田舎に住むのと、東京に住むのは、比較ができない。別の次元のことです。私は、多拠点生活で、両方の幸せを感じることができます。同じ次元で比較できない、多面的な、複合的な幸せです。東京か、地方かを限定せずに、いろいろなところに住むことのメリットはここで語りつくせないほどです。
多拠点生活なんて、できる人は限られているのでは?
多拠点生活は、可能な人とそうでない人がいるのではないか。という意見もあると思います。
仕事で決まった場所に通う必要がある人や、学校に通うお子さんを持つ人など、制約がある人は難しいということは理解できます。
でも、私は、一方で、多拠点生活ができない人、不可能な人は少ない。とも思います。
昨今、多拠点で暮すことのメリットや、可能性を感じている人は増えていて、多拠点生活をするために仕事を変えた人にたくさん会いました。
頑張って勉強してエンジニアに転身された方にも会ったし、ライターや、コーチ、占い師など、多拠点生活をしながらできる方法を選択しながら工夫している人もいます。それこそ、記事に書かれていたように、ウーバーイーツは全国どこでもできるようですし、私のように会社を辞めてしまうことだってできます。
子供の学校についても、多拠点生活をしながら、決まった学校に通わない方法を選んでいらっしゃる方もいます。私たちの未来、子供の将来を考えたときに、普通に小中高大学へと通い勉強することが、本当にその子の幸せなのかということを、親も、子供も考えなくてはいけないのではないか。子育てに正解はない。でも少なくとも、今ある与えられた環境の中から選択をするのではなく、ご自身で子育ての道を切り開いていこうとされている方に会うと、少なくともその子は、今までの私のように、何十年も受け身で主体性のない生き方をする大人に成長することはないのだろうなと思います。
こういう例を聞けば、多拠点生活を始めることって、誰にとっても、不可能なことではないと思います。不可能ではないし、今までの生活を変えてリスクを取ってもやる意義があるのが多拠点生活だと私は感じています。
多拠点生活は、未来のあたりまえのライフスタイルになる
将来的に、多拠点で生活する人が増えれば増えるほど、きっと時代がついてくる。学校の問題や、仕事の問題はあとからどんどん解決されていく。新しいモビリティの未来はもうすでに見えています。移動することはもっと当たり前になっていくのです。
現実的に、地方では、地元から都会へと出ていく若い人が多い。地方自治体の移住の取り組みも全然うまくいっていない。地方のシャッター商店街の再生もなかなかうまくいかない。
人口が減りつつある日本で、東京の問題、地方の問題を解決するには、多拠点生活をする人が増えることは一つの解決の糸口になるはず。
自分の人生のためにも、未来の日本のためにも、多拠点生活には、可能性がある。私はそう思っています。
まとめ
多拠点生活について聞かせてほしい。と筒井永英さんからご連絡をいただいたので、それをきっかけに、少し掘り下げて書いてみました。最近、多拠点生活に興味を持ってくださる方が増えてきています。私の考え方は、少し変わっているかもしれないから、ほかの人の参考にはならないかもしれないけれど、まあ。一つの参考例として。
誰かの役に立つかな。そうだったら嬉しいです。
今夜もよい夢を見られますように。
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