ADDressでの生活って楽しい?うん。楽しいよ。でも大変なことだってある。その2解説編。

 先日、ADDressでの生活って楽しい?うん。楽しいよ。でも大変なことだってある。その1体験編。について書きました。今日はその解説を書きます。

ADDressでの生活の良い面については、各拠点での楽しかった記録を残しているので、参照していただければと思います。ADDressを始めてみたいけれど、色々と不安があるけど大丈夫?と思う方がいれば下記記事が参考になると思います。

ADDressライフを大満喫中の私ですが、時に大変なこともある。今回のテーマは、、どちらかというと、大変なこと、苦労だと思うこと。なぜ、大変なことがあってもADDressでの生活が私にとっていいと思うのかについて、です。

その理由を、端的に言えば、「きっと自信を手に入れることができると思うから。そうすればもっと自由で幸せになれると思うから」です。

長くなりますが、その理由を整理しておきたいと思います。

「わたし、それ無理」への違和感

前回のブログで、一人の恐怖や、不潔との闘い、田舎を思い知る(自分の無知を知る)という3つの体験について書きました。

「一人の恐怖」については、ほかの会員の方も、男性、女性に限らず、同じように感じている方が多いようです。やっぱり初めての家で一人きりは不安で怖い。「一人が耐えられなくて、帰ってしまった」という会員の方に少なからず会ったことがあります。(平気だった!という人も、もちろんいます)

ギブアップした人の話を聞きながら、私自身も、不安を感じながら、自分がなぜ、ギブアップせずにこんなことをしているのか、と思うことがあります。

ADDressでの日々の生活の中で、失敗や、上手くいかないことがあると、自分が嫌になることもありますが、私は今までは敢えて、それをwelcomeとしてきました。

上手くいかないことを Welcome とする。それはなぜか。

私は子供のころから、ずっとより良い生活を求めて、生きてきたように思います。両親も私が苦労をしないように、と常に考えてくれていた。それが私の幸せだと信じていました。

大人になってからは、「収入を上げること」が「更なるよりよい生活」得られることの条件のように思ってきました。便利で、安全で、快適な生活。身体によい生活。質の良い生活。私が社会人になったころはいわゆる「バブル時代」ですので、そういう価値観が普通でした。

良い生活、幸せになるにはお金が必要で、そのために心身に負担をかけて働く。

そして、仕事で降りかかるプレッシャーやストレスを緩和するために、さらにお金をかけて、よりよい環境、快適な生活を求めるためにお金を使う、というループの中にいたように思います。

「自分へのご褒美」的な考え方。それって、よく考えると何か変だなと思います。「自分へのご褒美」はバレンタインデーと同じように、商業的に作られた慣習、キャッチフレーズですが、そのキーワードは多くの共感を呼び、多くの人が「大変な自分へのご褒美」と称して、嗜好品の購入や、癒しのためのものや時間の消費をするという生活をしています。

ビジネスの世界の中でずっと成功を求め続けていく人生。成功すれば、「快適さ」は、私が死ぬまで補償される。でも、もし失敗したら? 収入が少なくなって、「快適さ」が少なくなくなったら私は不幸になるのかな。果たして耐えられるのかな。生きていけるのかな。お金って、いったいいくらあったら足りるのかな。

そんな漠然とした迷いや不安を抱え、そしてそんな風に、50年近くの人生を生きてしまうと、ある意味、ひ弱な人間が出来上がってしまいます。ビジネスの世界の中では生きていくことができても、一歩外に出ると、「寒さ」や「汚さ」や、「夜の恐しさ」そういう、ほんのちょっとした不快に耐えられないひ弱な人間。何もできない私。

もちろん、寒さや汚さや夜の怖さ、のような「不快」は少ないほうがいいけれど、それがちょっとあったぐらいで「私無理、耐えられない」と思うことは、逆に不幸なのではないか、頭の片隅でぼんやりと考えていました。

周囲の人が「わあ。私それ無理」(最近は子供もよく言いますね)というのを聞くたびに、すごく違和感を覚えていました。無理って何だ?

無理なことを強いられたら、それはつらいだろうな。私にとって「無理って思うことって何かな」そんなことを考えていると、私自身が「ものすごく多くのことについて、私それ無理」と思っているのではないか、と気づいたのです。

それはとても恐ろしいことのように感じました。「ねえ、それってやばくない?」

自信について

私は自分に自信がありません。できないことがたくさんあるんだから、人より秀でていることがないんだから、自信がないのは当然、と思っていました。ところが、社会に出て周りを見回してみると、「え、それで??」と思うような人でも、自信満々の人はいます。(失礼は承知です・・。)

客観的にみると、私は仕事においてはたくさんの実績を残せたし、評価ももらってきました。誇れることだと思う。ほかのことは全然ダメだけど、私にだって、少しはできること、誇れること、得意なことはある。

なのに、私は全然自分に自信がありません。自信がない自分に慣れていて、それが通常な私なので、それはそれでいいや。とも思ってきました。

最近、私の発言に対して、こんなコメントをもらいました。

Emilyさん、謙虚過ぎるというか、どう見られているかわかってないというか、、、。
手をあげなくても、Emilyさんはいつも人目をひいていたと思います。
見た目の美しさもですし、写真やブログの視点や文章も魅力的です。
前に出ることを自分に許してしまいさへすれば、強みがどんどんわかると思います。
これだけの才能が、もったいない。

この文章はちょっと褒めすぎなんですが、本質をついていると思います。そうです。私は多分、必要以上に謙遜しすぎ。自信がないことを謙遜することでごまかしています。自信がないことを言い訳に、やればできることも、できなくていいわけをしている、ということを認めざるを得ませんでした。

どうしたらもっと自信を持てるようになるだろう。

自信が持てるかどうか、には性差があるという風にも感じていました。男性に比べると女性のほうが自信を持ちにくいのではないかと。

「なぜ女は男のように自信をもてないのか THE CONFIDCENC CODE」 2015年 CCCメディアハウス

この本の中では、学術的に男性と比較すると女性のほうが自信を持ちにくい特性があることが証明されています。その遺伝子的見解や、育成段階での経験、また「自信」が後発的に能力開発が可能かどうか、などが研究され、詳細に書かれています。「自信」と「楽観主義」の違い、「自信」と「自己肯定感」の違いも丁寧に説明されています。

※この本文中に何度も「単なる自信をつけるためのHow to本にしたくなかった」という記述があるので、私としてもHow to部分だけを抜き取ることを避けたかったのですが、文が長くなってしまうため、断念しました。

この本では「早めに失敗すること」のメリットが書かれています。「失敗」とともに「自分が常に成長できる存在であること、さらに学ぶべきものがあるということ」という成功する思考習慣が、レジリエンスを育む。ということ。

チャレンジを続けることで、自分が持って生まれたものに対する自信はどんどん小さくなり、逆に自分が創り上げてきたものに対する自信はどんどん大きくなっていくということが書かれていました。

仕事においては、自分で成し遂げたことではあるものの、私は主体的に仕事を選んできていませんでした。なんとなく、親が勧めてくれたもの、目の前に会った機会を、あまり考えずに自分のものにしただけ。仕事での成功だって、ほかの人との協働や、運、縁、タイミングなどの幸運も結果に影響する。私が自分で成し遂げた、頑張ったことって、実はそんなにないのでは?

今、どんなに小さなことでもいいから、「難しい、無理だと避けていたこと」をやってみる。それがが「今」なんじゃないか。そう思うようになりました。

自信をつけて、もっと幸せなりたい

・できないこと、避けていたことをやってみたことで生まれる自信

私はADDressを始めるときに、「初めて体験」をできるだけ増やそう。と決めました。好きとか嫌いとか、あまり考えずに「とりあえずなんでもやってみる」をテーマにしています。

なので、「できるだけ快適に」ではなくて、「できるだけ、やったことないことを」「今までだったら避けてきたことを」をやってみようと考えました。

一人の恐怖や、不潔との闘い、田舎を思い知る(自分の無知を知る)以外にもいろいろな挑戦をしました。車の運転の再開や、高速バスに乗ったり、銭湯で電気風呂に入ったり、畑仕事をしたり、大掃除のお手伝いをしたり、ドミトリーベッドで眠ったり。ヤギにも触った。

「すごく嫌だったらやめればいい。」と、後戻りできるように準備してからの挑戦でした。

乗り越えられそうな「不快」については「よし。来たな。」と思ったし、ちょっとハードルが高そうな「不快」についても「嫌だったらやめてもいいんだ。」と自分を励まして今日に至っています。

そしてそうやって、できることを増やしていき、「「少し自信を手に入れることができて、自由で幸せになりつつある」ことができているように思います。

「どうにかなるんだ。何とかなるんだ。自分でできることをすれば、何とか生きていけるんだ。」

そういう体感をすることが明らかに自分の自信になるし、できないことが減ると、嫌なことが減って、人生を自由にし、幸せがふえる。

誤解のないようにしておく必要がありますが、ADDressでの生活は、基本的には、楽しいことのほうが多いです。でもその中に私は敢えて、「小さいチャレンジ」を組み入れて、人生における幸せ度をさらにアップさせているということです。

日々は、流れるように過ぎていきます。少し立ち止まって、半年のADDressでの生活で、色々とチャレンジしたことを振り返ってみたとき、自分が選んだ道は間違っていなかった、と思う今日この頃です。

まとめ

ほんの少しだけ、チャレンジして、少しずつ幸せになっていく。私は実際にそうなったし、これは私の世代にはすごく大事なことのように思います。残念ながら、人はだんだん、新しいことにチャレンジしなくなるからです。

私は好奇心が旺盛なところがあるので、新しい仕組みやサービスがあるとすぐにやってみたくなります。

でも、そういうチャレンジばかりだと、自分の弱点と向きあえず、今後年齢を重ねて衰えていく上に、悪い部分、弱い部分もパワーアップするというリスクに対しての備えが不十分だと思います。

今回は、ADDressでの生活って楽しい?うん。楽しいよ。でも大変なことだってある。についての解説を書きました。「苦労は買ってでもしろ。」とか「困難な道を敢えて選ぶ。」とかそうなるとちょっと重いし、大変すぎる。私はそんな立派な人生でなくてもいい。

自信や自由な心はお金では買えないもの。自分で手に入れるもの。ほんの少しの自信、そして自由な心は、幸せでいることの条件の一つだと、私は心から信じています。

自分の気持ちを書いて、整理したことで少しすっきり。

今夜もよい夢を見られますように。

コメント

  1. 旅でワーキングメモリーが鍛えられていますね!
    ドキドキする経験が人生の幅を広げてくれている様子を、楽しく拝見しています。
    旅は終わりを想定されているのですか?この旅はいつまで続ける計画なのか、伺ってみたくなりました。

    • めーさん こんにちは。旅の終わりは想定していません。計画もしていないので、やめたくなったら、または続けられなくなったら終わりの日が来るかも。と漠然と考えています。
      一方、将来的なライフスタイルとして、「定住」か「移住」か「多拠点」かというのは多くの人が選択する時代になることは間違いないように思います。
      いつもブログを読んでくださってありがとうございます。読んでくれる人がいるって、すごく嬉しいですね。

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