会社を辞めるということ 無職の嗜み 詩を書き始めました。

最近、Instagramに詩を書いて投稿しています。

詩を書こうと思い立ったのは、「ふと、そう思ったから」です。でも、思い起こしてみると、詩を書くことは、もしかしたら、ずっと前から決まっていたのかも。と思います。

続くのかどうかは、わからないけれど、今のところは楽しくて11編ほど書いたので、その経緯と考えたことをまとめておこうと思います。

詩を書き始めたときのこと

詩は、鹿児島にいるときに、初めて書きました。

その日は、とてもお天気がいい日で、鹿児島の小学校の下にある海岸に降りていき、靴と靴下を脱いで足首まで海に入りました。

足が濡れてしまったので、乾いた砂に足をくぐらせながら、流木に座って、海を眺めているときに、ふと思い立って詩を書きました。

すらすらと言葉が出てくるのが楽しくて、これから詩を書いてみようかなとふと思いましたが、それからそのことは忘れていました。その時書いた詩は、これです。

夕暮れ時、海

波の音を聞きながら、考え事をした

風がひんやりして

海水に濡れた足は

砂の上で、さらさらに乾いている

ふと思い立って、ウィッシュリストをひらく

どれも、馬鹿馬鹿しかった

波の音

風の音

ふと顔を上げると大きな海

夕焼け

この瞬間を表す言葉は見つからない

美しいという言葉は陳腐すぎるし

幸せすぎる、というのも、なんだか違う

もうすぐお腹がすく時間だ

部屋に戻って、ごはんを食べる頃には

海のことは忘れてしまい

ウィッシュリストが私の望むリアルな生活

束の間の、海の時間はおしまい

Emily_jiyulife 自由な生活(@emily_jiyulife) • Instagram写真と動画

その日から時間が経って、3月の終わりに、これから先のことを考え、いいアイデアが思いつかないなあと思っていた時に、ふと、詩を書くことと、京都芸術大学に復学することを突然決めました。

私の特性

私には取り立てて言える取り柄がない。私はずっとそう思っていました。今でもそう思っています。少しできること、といったらちょっと仕事ができたことぐらいかな。

ADDressで生活していると、周りの人が本当に、「生活者」として優秀で、ますます、劣等感にさいなまれる日々でしたが、ある時ふと思ったのです。

私は小さいころから、「感受性が豊かだ」とか「感性がある」と言われることが多かったということです。

最近のことで、よく覚えているのは、京都芸術大学に入学したばかりのころ(2016年)のことです。

初めて書いたシャガールに関するレポートの添削をしてくださった先生が、まだ美術史についてほとんど知識のない私が書いたレポートを読んで、すごい感性、感受性を持っているから大切にしたほうがいいと書いてくださいました。

最近書いているこのブログを読んでくださる方からは、感性があるブログだと感想をいただくことも多くて、そうなのかな。そうなのかも。と思いました。

子供の頃の思い出

私は子供のころのことを、ほとんど忘れてしまっているのですが、数少ない覚えていることのひとつに、詩集のことがあります。

お小遣いをもらって、好きな本を買っていいと言われたときに、私が買ってきた詩集を見て、父親が「いい趣味だ」と言ったことがありました。

その詩集のことは忘れてしまいましたが、紫色に製本された、子供用の詩集だったように記憶しています。

それから、私は子供のころ、「小説家になる」と原稿用紙を買ってきて、何も書かなかった(少しは書いたのかな)ということもあったように記憶しています。

私は、何か、書きたかったのかもしれません。最近、なぜか、そのことをよく思い出していました。

仕事とか、キャリアのことを考えるのを止めようと思った

離職して早9か月。仕事をしていないことについて、また、やりたいことが見つからないことについて、焦りがないわけではありません。

なにか次のキャリアにつながるようなこと、ないかな。何か勉強するのがいいかな。さんざん考えてきましたが、そういう風に考えること自体が無意味な気もしてきました。

あんまり意味がないことをやろうかな。

私は、長年会社員だったこともあって、結果を出すことが前提でのアクションを考えるのが常でした。だから、次のキャリアを見つけるためには、何かにつながっていくことでなければいけない、と思っていました。(というか、それが正しいことなのだと思います)

でも、そういうことはさておき、何か自分がやっていて楽しいことを見つけることのほうがいいなと思ったのです。

詩のことを考えたとき、ちょっと詩について情報収集しようかなと思って、二子玉川の蔦屋書店に行きました。そしたら、詩のコーナーってこれしかないの???っていうくらい、少ないスペースしか詩も、詩とは何か、という解説書も棚半分くらいしかありませんでした。

この広い蔦屋書店でこれしか扱いがないってことは、みんな詩に興味ないんだな。と思いました。

こんなにみんなが興味ないことを、仕事が見つからない今の私が、1日の中の貴重な時間を使ってやってみようと思うことは、あんまり正気の沙汰ではないなと思ったら、やってみたくなったというのも、詩を始めることの理由の一つでした。

ADDressライフでは、本当に感動が多い

10月が終わった後に書いたブログを読んで、このころはまだ、自分の心が硬かったと思います。

この時から半年過ぎた今は、今の生活が本当に、日々、感極まることの連続であるといえます。私はADDressで生活を始めて、感動することが日常になり、飽きることなく、いろいろなところに行って感動し続けています。

このブログを書いた後に、瀬戸内海を日々、自転車で走って、その美しさに感動したし、静岡県榛原では、一生忘れられない思い出を作り、鹿児島、大隅半島という、ADDressがなかったら絶対訪れなかったであろう場所に行き、詩を書くところにたどり着きました。

今は、いろいろな場所に行って、いろいろなものを見て、感動し続けよう。そして、その時々に心に思い浮かぶことをを詩にしていこうと日々を送っています。

詩を書きながら考えていること

詩を書くために大事なことは、感性、感受性はもちろんですが、それを表現するための技術も必要です。

このことは、詩を書くこと以外にも、何を成し遂げるにも必要なんだと思います。芸術表現であろうと、ビジネスであろうと。

よく、「サイエンス、アート、クラフト」みたいな表現がありますけれど、そういうことです。

感性、感受性というのは、ものを見て何かを感じる、感じたものをどうやって表現するか、というセンスのようなものですが、その裏側には、哲学的な思想のようなものが影響すると思います。

それを、詩を書くという技術的なクラフトの部分が上手に融合すると、良い詩になる。

私は今、一人で詩を書いていますが、振り返って考えてみると、会社って結局、サイエンス、アート、クラフトで協働しながら、成り立っている。

経営者がその成り立ちや、バランスをわかって、何をどうするのか、したいのか、誰に何をしてもらうのか、について、良いデザインができれば、人を感動させるようなビジネスが生まれるんじゃないかなと思ったりしています。

私が経営学を勉強していた時に覚えたことが、今ここ、で巡り巡って腹落ちしたような気がしています。

まとめ

今日は、私が詩を書き始めたことについてまとめました。多くの人が詩に興味がないことは十分承知していますが、もしよかったら、Instagramを見てみてくださるとうれしいです。

今夜もよい夢をみられますように

コメント

  1. 二子玉川の蔦屋家電は本の品揃えが今ひとつです。新宿の紀伊國屋は詩歌や短歌のコーナーが充実していたように思います。私は高田敏子さんの詩が好きでした。
    これからも楽しみにしています。
    どうぞよい夢を。

    • めーさん、こんにちは。
      教えてくださってありがとうございます。新宿、紀伊國屋書店、今度行ってみますね! 高田敏子さんの詩も読んでみたいと思います。

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