宇城の夜で考えたことシリーズの個人編。自分の人生には何が足りていなくて、どうしたらもっと幸せに生きられるのか。について書きたいと思います。
*今回のブログにも宇城のことは全然書いていません。タイトルと内容があっていないので、これもまた後日、別立てて、ブログを書き直したいと思います。
その①のブログでは、私が仕事が忙しかったゆえに、プライベートも、ものすごく効率化していた、切り捨て上手だったということ。意図したわけではないけれど、ADDressで生活を始めてからは、切り捨てない、非効率的な日々を送っており、時間を大金持ちのように無駄に使っていることを書きました。
その後、仕事編としてその②のブログを書きました。
今日は個人編としてその③を書いています。
忙しい生活において効率化を図ると、さらに気持ちが忙しくなる
会社員時代は日々の仕事が忙しかったので、効率的であることに生きがいを見出していました。
でも、スケジューリングの技術はそれほどうまいわけでもなく、手帳の使い方、などの本を買ったりするものの、今一つうまくできない。
手帳を真っ黒にして、TODOをどんどん進めていく人を羨ましいなあ。と思う一方で、ちょっとひねくれた気持ちになり、TODOでいっぱいの毎日なんて、それをこなすことが目的となって、クリエイティブになれないんじゃない?とも思っていました。
無職になってみてはじめて、その日暮らしの楽しさを体感
今は完全にその日暮らしになっています。なぜならば、多拠点生活をしていると、「お天気と相談」ということが多くなるからです。
私の場合、いろいろな場所で、「観光半分、生活半分」みたいな日々を送っているので、どこかに出かける場合は、やっぱり快晴の日がいいよね。と思い、日々、天気予報とにらめっこです。
海沿いや山沿いの地域の天気は変わりやすく、予報も頻繁に変わったりします。なので、それに合わせて、予定を組み替えて、その日のベストを考えることを一番大切にしています。
私は、人生の先のことが全く決まっていません。「次」とか「先」とか「今度」とか、叶わない可能性があるなと感じているので、「今やりたいこと」「今日やりたいこと」を最優先にする生活を送るようになりました。
やらなければいけないことは最低限にして、あとは好きなことをするか、もしくは何もしない
今、have to として自分に課していることは、下記の二つだけです。
- ブログなどSNS上での発信を必ず毎日。
- 英語の勉強を毎日1時間。
それ以外に、生活のなかでの手続きなど、どうしてもやらなくてはいけない用事(これがまたものすごく少ないですけど)があるので、それは週に1時間程度だけ。です。
だからそれ以外の時間は、①楽しい計画をする ②計画した楽しいことをする ③計画以外の楽しいことをする
となっています。
1日の予定を考えるときに、まず、明日(または今日は)出かけるか、否か。出かける場合は、朝、早起きして、または隙間時間がどこで発生するかを考えて、その中で have toのことをするようにします。
逆に言えば have toのことが終わったら何でも好きなことをしていい。というのが日々になっています。
自由時間、余白が人生を豊かにする そして幸せが生まれる
世の中のほとんどの人が、have to と 自由時間 を両方持っているのですが、そのバランスが幸せを決めるということです。
みんな、かつての私もそうですが、多くの人が自由時間をつくりだすために、効率化をして、それがうまくいかずにストレスをためているように思います。英会話やダイエット塾、断捨離塾と同様に、時間管理術も達成することが難しく、「これをやれば簡単にできる」的な指南本やセミナーはたくさんあります。
逆に、効率化自体が目的化してしまって、スケジューラーを使いこなすこと、多くの予定をこなすことで目的が達成されたと感じ、自己満足に陥っている人もいるように感じます。
今、私は、have toの時間を最小化していて、自由時間が増え、「何も決まっていない時間」がすごく増えました。
それが、ものすごく幸せと相関があるような気がしています。
二つの疑問にあらかじめお答えしましょう
①余白が人生に幸せをもたらすかどうか、は、その人のステージによるのでは?
私は今とても幸せに生きています。でも、私のような時間配分がが幸せかどうかは、人生のステージにもよると思います。子育て中や、仕事に燃えるべき若いころ(若いころとは限りませんが)は、それこそ自分の自由時間を削って、そのことに邁進していくことが、幸せといえると思います。私にもそういう時がありました。
ただ、少し注意しなくてはいけないことは、「ほかの人のために生きる」ことが目的化していしまうことです。「ありがとう」といわれること、「人のために尽くすこと」は美しいことのように感じます。「自分がいなければ回らない」という責任感も、尊いことです。それでその人が本当に幸せならそれでいいと思います。でも、「犠牲になることを幸せだと思いこもうとする人」が少なからずいるのを感じます。
ふと疲れたときに、それが「自分に必要なステージ、そういう時期なのか」または「自分が犠牲になることで何かをごまかそうとしていないか」を問うてみることが大事です。
②余白がありすぎて不安になったり、生きがいを見出せなくなったりする人がいるのでは?
定年退職したおじさんが、やることがなくなって、「わしも族」になったり、急に呆けてしまう、という様なエピソードもありますから、自由時間が多い人生が幸せとは限らないんじゃないか、という考え方もあると思います。私もどちらかといえば、「仕事人間」だったので、仕事がなくなって、空虚な気持ちになるんじゃないかなというのがとても心配でした。
だからほんのちょっぴりの have to は必要なんだと思います。できたらそれが他者とのつながり、社会的なつながりになることがいいんじゃないかなあと思っています。
私はSNSを通じて自分の多拠点生活について書くようになり、それに併せて自分が思っていることを定期的に発信するようになりました。毎日1-2時間、(気が向けばもっと長く)そういう時間を取っていると、空虚にはならない。趣味、みたいなものもそれに相応するのかもしれません。
have to の積み重ねが将来の貯蓄になっていくということも、大事なポイントです。勉強や趣味や、人に尽くすことを少しずつ積み重ねると、それは大きな資産になることでしょう。でもそれは2割くらいでいいんだと思っています。
私の提言 仕事を半年休もう。または仕事を辞めてしまおう。それを目標にしてみよう
どんなに時間管理に長けている人も、have to の時間と、自由時間のバランスが、2:8になる人はあまりいないと思います。昨今は仕事時間を少なくしよう。クリエイティブになるためには、短時間で効率的に、成果の高い仕事をして、もっと自由時間を増やそう。みたいなのが流行っています。
2021年3月、ちょうど昨日、リクルートグループが年間休日を143日にすることが発表されました。でもそんな恵まれた企業に勤められる人は少ないし、143日だって、まだまだ少ない。
働きながら、努力や工夫で、理想的なレベルまで自由時間を増やすことができる人は、どれだけいるのでしょうか?そんなことをしたら、ますます日々が忙しくなるだけでは?と思います。
仕事が生きがいになっている人は、 have to が want to になっているわけなので、ストレスは少ないけれども、凡人はやはり、自由時間、即ち余白がなければ、新しいこと、クリエイティブなことを生み出すことはできないのです。
だから、人生にほんの少しでも、余白を持てるチャンスやステージが来たら、またはそういう環境を求めて、思い切って仕事を休んでしまう。辞めてしまうことだけが、have to の時間と、自由時間のバランスが、2:8になることを可能にします。
誰にでも仕事を休む、やめるチャンスは必ずあります。2-3年分の生活費があれば、安心して辞められます。あとは勇気だけ。
私がやっていることは正気の沙汰ではないかも?
「今後どうする予定なんですか?」「金銭的な心配はありませんか?」本当に多くの人に聞かれる質問です。
私がこの後、人に羨ましがられるような人生を送り続けることができれば、私の進言に対して信頼度が増すことはわかりますが、そういうことは、どうでもいいことなんじゃないかなと思います。
ふと考えてみれば、私がこの8か月間で多拠点生活に使った費用は、100万円くらいかなと思うのですが、私が会社に勤め続けることで得られたであろう収入分を考えると、この多拠点生活という遊びに、500万円以上を投じていることになってしまいます。
それは正気の沙汰ではない。
でも考えてみたら、自分を変える、変わるようなことって、正気の沙汰ではないようなことからしか生まれないんじゃないかな。
九死に一生を得るような経験、大きな病気やケガをすることで人生を変える人は多い。自分でやっている事業がうまくいかずに苦しむというような経験は人を変える。
私は、ホストクラブで散財する勢いで、この多拠点生活にお金と時間を使って、8か月経った段階で、やっと、どうしたら幸せに生きられるのかについて、今までとは違う視点で考えられるようになりました。
だから正気の沙汰ではなくても、やってみる価値があると思っています。
まとめ
私が好きな美術家の李禹煥は、余白の芸術について語っています。
余白、行間、目に見えないもの。
私は、論理的に考えながらも、目に見えないもの、余白の存在を認めること。それが人生を豊かにすることなんだと思っています。
私が今日書いたことは、言葉にすれば、「自由時間を作る」ということなんですが、そういう単純なことではないような気もします。
余白のある人生。その人それぞれが持つ余白の色やかたち。匂い。手触り。それを探し求め、手に入れることが、幸せの一つなんだと感じています。
今夜もよい夢を見られますように。
コメント
今日も素敵なブログをありがとうございます。
現代の松尾芭蕉的な生活、憧れます。
家や家族があっての旅という、出かけるまでのしんどさを考えると、
軽々と行き来できる旅人になりたいという渇望があります。
最近は自分のアバターで仮想空間活動することで気を紛らわせております。
どうぞこれからも素敵な旅を。
めーさん。こんにちは。誰しも、その時を生きることが大事なのでは。と思っています。
私も長い間、会社員でしたので、今のような生活を夢見つつも、このような生活をすることになるとは考えていませんでした。
夢見ていたら、いつか叶うかもしれない。もしかたら想像していたのとは違う形で、それは訪れるかもしれません。