無職の嗜み 無職 × 多拠点生活は、時に、村上春樹の小説の主人公みたいに過ごせることだと思う。

村上春樹さんの小説やエッセイを時々読みます。作品をたくさん、そしてライトに読んでいるので、情景を頭に描くとき、それがどの小説のものだったか、はたまた、エッセイのことだったかは定かでありません。

一つ一つのストーリーには、異なる趣があるものの、主人公(または村上春樹さんご自身)の生活のスタイルには、共通しているイメージ、行動などがあるように思います。

かつて、会社員だった私は、それらを読み、その情景を頭の中に思い浮かべて、村上春樹さんご自身や、その登場人物である「彼ら」の日常は、自分の日常とは全く異なると感じていました。考え方も。

彼ら」の生活は当時の私にとっては非現実的。非現実的だけれど、ちょっといいな。うらやましい。と心のほんの片隅で、そして意識するほど強くもなく、頭の中の奥底のほうで思っていたのだ。と最近になって気づきました。私は現在、「彼ら」のように日々を過ごしています。

「彼ら」の生活

例えば「彼ら」は、朝起きて、朝食を作り、午前中にプールに泳ぎに行ったりします。時にはダンキンドーナツで、時間を過ごしたり、紀伊国屋(麻布ナショナルスーパーマーケットだったかな)などで、(調教済みの)パリっとしたレタスを買ってサラダにしたり、パスタをゆでたりする。

ある日の昼間には、路地に猫を探しに行ったり、歩きすぎてボロボロになったテニスシューズを新しく買い替えたりする。

夜になったら、食事を作って食べ、ウィスキーを飲んで、音楽を聴いたりして静かに過ごす。

彼ら」は、何らかの事情で、仕事を辞め、収入がない状態であり、しかしながら、「そんなに贅沢をするようなタイプ」ではないので、貯蓄の中で、「何とか2-3年はやっていけそうだ」と思って静かに暮らしている。だいたいは、妻や恋人が出て行ってしまって、「ひとり」で生活をしている。

物語の展開のなかでは、何かに導かれるように、北海道や、ハワイやギリシャにいく。村上春樹さんご自身も、3年間のヨーロッパでの生活や、アメリカで生活を経験している。

こんな風な生活の様子が、村上春樹さん独特の文体で語られ、かつての私は、それらを「物語の中のこと(または作家の日常や人生)」として、「非現実的」にとらえていました。

私の生活

私は、気づいてみたら、「彼ら」の生活と同じようなことをして過ごしている、と何度も、何度も感じるのです。

最初にふと、そう思ったのは、「靴下に穴がが開いたこと」がきっかけでした。

会社員時代は、スポーツクラブでは運動していたものの、日々の生活の中では、駅近の家と、会社という環境下で、オフィスの中くらいしか、歩くことがありません。

スポーツクラブでは、スポーツ用の厚めのソックスを履いているし、実は「ヨガ」みたいな裸足のアクティビティに参加してることが多かったので、靴下が破れるなんてことはありませんでした。

ADDressで生活をするようになって、日常的に、ものすごくたくさん歩くようになりました。いろいろなところに出かけるし、方向音痴で迷ってばかりいるということもあるし、スポーツクラブをやめてしまったし、一万歩くらい歩くのが身体にいいというし。

ある日、お気に入りだったけど、会社員時代にはあまり履いていなかった、縞々模様の靴下の親指のところに穴が開いたのを見て、驚いたのと同時に「こんなことは、中学生のころ以来だ。」と、なんだか、感慨深い気持ちになりました。そして思ったのでした。

あ。あの、靴がボロボロになるまで歩く生活。それって、こういうことか。

私は、ADDressでの生活をするようになって、ものすごくたくさんの路地を通りました。

田舎に行くと、(都内でも区画整理がされていない場所、路地はあります)入り組んだ路地がたくさんあって、方向音痴の私は、よく迷子になっています。迷いながら歩いていると、路地では時々、思いがけず猫に遭遇します。

あ。猫だ。路地で猫を見る。「彼ら」が路地にネコを探しに行く様子が頭に浮かび、わたしにとって「彼ら」の日常が「非現実」ではなくなっていったことに気づきました。

ADDressで生活していると、自分では、意図せず、どこかへ出かけることが多くなります。私は現在これを、鹿児島県、鹿屋のかつて小学校だった場所でこの文章を書いています。

海。そして風に流されるグレーの雲が校庭から見えます。今日は曇っているので、見える景色で、なんだか北欧に来たような気持になるんですが、そういう知らない場所、意図しない場所に導かれてやってきて、「なぜ自分が今ここにいるのか」というような不思議な感覚が芽生えます。波のように満ち足り弾いたり、様々な感情が沸き起こるような体験。そして何かに導かれてここに来たんだ、というような経験するところも「彼ら」と共通しているように思います。

時に、いろいろな方から私の今の生活について、「金銭面での不安はないですか?」とか、「そのうちまた働くんですよね?(今後どうするつもりなんですか?)」と聞かれることが多いんですが、私は今、全然先のことを考えていなくて、あまり焦ってもいなくて、今は「彼ら」のように「なんとか2-3年はやっていけそうだ」と思って暮らしています。

私は大体、今朝7時から8時の間に起きて、午前中だけ、何かを書いたり、勉強したり、して過ごしています。それは、好む、好まざるにかかわらず、日課にしています。夜は、気の向くままに好きなことをして暮らしています。

お酒を飲んだり、音楽を聴いたりしないところは「彼ら」とは違います。でも「彼ら」と同じように静かな夜を過ごしています。

村上春樹さんがお好きなら、無職になってみるのはどうでしょう?

多拠点で暮らすことに興味を持って、関心を寄せて質問してくれる方はとても多いのですが、「無職になること」を希望している人ってあんまりいないみたいです。

私自身も会社員時代は、怖すぎてそんなことは考えられませんでしたが、「無職」は、なってみると意外にいいものです。

もし村上春樹さんの小説の主人公のように、暮らしてみたい人がいたら、無職 × 多拠点生活をしてみるのはいかがですか?

先のことは保証できませんが、日々、「彼ら」のような生活ができる、ということは保障できます。それは、想像していた以上に、心穏やかな日々だということ。幸せです。本当に。

ちなみに、村上春樹さんの作品の中で、私が一番よく記憶していて、一番好きなシーンは、「ダンス・ダンス・ダンス」のハワイのシーンです。あのシーンは、シーズンオフのギリシアの島で、寒くてたまらないと思いながら書かれたものだ、ということを、後に、(多分)「遠い太鼓」で読んだような気がします。私はハワイが大好きだし、「遠い太鼓」を読んで、ギリシャのとエーゲ海の様々な島、ローマに行きました。懐かしい。いつかまた行きたいな。

今日は無職の嗜みについて書きました。

今夜もよい夢を見られますように。

コメント

  1. 鹿児島は一度しか訪れたことがありませんが、夫の先祖のお墓があるそうなのでもう一度ゆっくり訪れてみたいと思っています。

    そういえば私もほぼリタイアしたような生活なので、いわゆる『彼ら』みたいな生活をしてもいい状態だったことに気づきました。たとえばパスタソースを作りながらアイロンをかける、とか。うーん、パスタ屋さんとクリーニング屋さんにドタバタといかない生活にシフトしよう。

    近所にクロニクルに出てくるような人の入れない暗渠があったのですが、最近そこは散歩道になってしまいました。おかげで人のお庭の梅や蝋梅をたのしんでおります。

    村上さんのお店、ピーターキャットで働いてた先輩のお店も今はもうなくなって、あのお店のサンドイッチの味も忘れつつあります。アンチョビと卵を混ぜて焼き、カリッとトーストしたパンに挟んだサンドイッチ、大人の味で美味しかった。

    とあるオンラインサロンにくたびれたので卒業することにしましたが、こちらのブログで旅をまた楽しませてくださいね。いつも更新いただきありがとうございます。

    • めーさん。いつもコメントありがとうございます。カリッとしたトースト。ふふ。素敵な表現です。サロンを卒業されるんですね!びっくりしました。
      引き続きこんな生活を続けていく予定、そしてブログも続けていきたいと思っています。時々覗いてもらえたらうれしいです。

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